水晶は最もポピュラーで馴染み深く、パワーストーンの代表とも言えます。一体いつから存在しているものなのでしょうか。また、水晶には様々な伝説的な話や逸話も数多く語られています。日本人なら誰もがその名を知っている戦国武将・武田信玄や、その父親である武田信虎なども、水晶にまつわる話があります。そうした日本と水晶の関係や世界の水晶などをご紹介いたします。
#【水晶歴史完全ガイド】武田信玄も愛用していた神秘のパワー
水晶の存在はいつから?
一体いつから「水晶」というものは人々に認知されるようになったのでしょうか。実は、正確な年代ははっきりと分かってはいません。しかしその歴史はかなり古く、日本では縄文時代から水晶があったとされています。釈迦堂遺跡から、矢じりとして加工されたものが発見されました。約7000年も前から日本では水晶を使用していたというのは、とても神秘的で非常に深い歴史を感じます。また、古墳時代には装飾品として加工された水晶なども発見されていることから、かなり人々の生活に馴染んでいたと考えられています。
水晶の歴史
水晶はとても古くから存在し、時に人々に癒やしや希望を与え、時に見目美しい装飾品として活用されてきました。日本でも多くの人に支持され愛されている水晶ですが、それは各国どこでも同様です。昔から、神秘の力を信仰し、様々な儀式などにも広く用いられてきたとされています。そんな水晶に対する世界と日本の歴史とは一体どのようなものなのでしょうか。
世界と水晶
水晶を紹介した最古の本 ~中国~
水晶が記されている最古の本と言われているのが「神農本草経」という薬の本であるとされています。大体1~2世紀あたりに刊行されました。この本の中で、白石英に関する箇所に水晶の説明がされており、「六角の面を持ち、先が尖り透き通ったものである」、というように記載されています。実はこの時代、水晶という言葉は存在しておらず、「石英」と呼ばれていました。「水晶」という言葉が用いられたのは、明時代に刊行された「本草網目」という本です。これは1596年頃に創刊されました。
この本の中で水晶は「水精の別名・同意語」という風にしか記載されていません。水精の箇所では、「白く透き通った塊」となっています。しかし今の日本では、水晶→六角柱のある結晶・石英→透き通る塊のものとされており、考えが真逆なことが分かりますね。これは、江戸時代の学者がミスをしたため、このような間違いが生まれたとされています。その間違いが現代まで引き継がれ、六角柱状の結晶が集まったものを水晶と呼んでいます。
欧州と水晶
欧州ではクリスタルと呼ばれ、ギリシャ時代から使われていました。哲学者テオフラストスが著した最古の鉱物時点である「石について」という書籍にクリスタルが記載されています。今では一般的に使われている「クォーツ」という言葉ですが、これが生まれたのは約16世紀と言われており、普及し始めたのは18世紀頃であるとされています。
今では素晴らしいパワーストーンとして世界中で愛されていますが、昔は、金属鉱脈を横切る無用な石英を意味するドイツ語でした。鉱石として役に立たない、採掘の障害となるなど、鉱山夫にとっては非常に邪魔で迷惑な存在だったとされています。今では考えられないようなお話ですね。
古代マヤ文明の水晶ドクロ
1926年、古代マヤ文明の遺跡から、非常に不思議なドクロの水晶が発見されました。このドクロは驚くほど精巧な作りでした。頭蓋骨の下部や頬骨弓は本体から外れますし、歯の形状も一歩一本丁寧に丸みを帯びており、さらに下顎関節部分で外れ、口も開閉します。更に、この水晶ドクロの下から光を当てると、全体が炎に包まれているような見た目になります。
また、文字や絵を書いた紙を水晶ドクロの下に置き、眼の部分から覗くと真下の文字や絵が見え、頭頂部から覗くと文字や絵が拡大されて見えるそうです。
水晶を頭蓋骨そっくりに加工するだけなのであれば、古代のマヤでも一応は不可能ではないとされていますが、水晶特有のプリズム効果を利用する技術や知識などは、古代マヤ文明には存在しないのです。そのため、このドクロの水晶は当時多くの学者から無視され続けていました。水晶の工芸品の年代を特定する方法もなく、あまりに精巧に作られていた為、説明に困った学者が多くいたのも納得せざるを得ません。
古代アトランティス
アトランティスは、水晶により支えられていたという伝説があります。水晶は人工水晶で、天然ではありません。アトランティスのエネルギー源として用いられていた水晶は、太さが30cmで長さが7・5mと非常に大きなものでした。水晶は、太陽のパワーを吸収するエネルギー源として使用されていました。この水晶を使い、高度なテクノロジーを駆使していました。
アトランティスには様々な逸話や伝説が多々ありますが、未だ謎に包まれている部分が多く、非常に興味をそそられますね。アトランティスが滅んだ要因の話も多くあり、ノアの大洪水が最も有名な話ではないでしょうか。また、滅亡説の中の1つにこの水晶が関係している説があります。水晶は、ポジティブなエネルギーやプラスのオーラを吸収するという役割もありますが.
一歩間違えれば反対に、負のパワーを強めてしまう場合があります。アトランティスの人々も、水晶の使い方を誤り、ネガティブな方へ進んでしまったために滅んだとされています。いずれにしても神秘的な話が多くあり、実に不思議な文明となっています。
「眠れる預言者」 エドガー・ケーシーも、その優れたリーディングによりアトランティス文明を支えたエネルギーの源は水晶であり、また、その水晶を誤った使い方をしたために、アトランティス文明は滅んでしまったのではないかと言っています。
日本と水晶
幻の女帝・神功皇后
神功皇后は、日本の歴史上で最も早く水晶を手にしたのではないかと言われています。「日本書紀」に登場する話では、彼女は巫女能力が非常に高く、夫の仲哀天皇はそのご神託を聞かなかったために、病魔に襲われ亡くなってしまったのではないかとされています。
神功皇后が大切にしていたと言われているのが豊浦の海で拾い上げた水晶です。この水晶を拾ってからは、ますます能力が高まり、自身のお産までコントロールしたとされています。自身の息子が天皇に即位して以降も母后とし、69年間もの間ご神託による政治を行い、この時代では非常に珍しい101歳という天寿を全うしました。
もともと能力がとても優れた彼女ですが、水晶の神秘の力によって、長年に渡り政治を動かし続けた奇跡の女性。邪馬台国の卑弥呼同様に神がかった存在ですが、戦後は神話上の人物として語られていました。しかし近年になり、実在したとされる説を唱える学者も増え、九州に伝承地が多くあることも分かってきました。
武田信玄と水晶
武田信玄と言えば、上杉謙信のライバルであり、織田信長や徳川家康に「武田軍は最強である」と恐れられていました。ゲームや時代劇などにもよく登場し、現代でも人気が高い武将です。そんな武田信玄が戦場に持ち込んでいたのが水晶の長い数珠であったとされています。信玄の領土である甲斐国は現在の山梨に位置します。山梨は今でも水晶が名産として扱われているくらい、昔からたくさんの水晶が採れる場所でした。
信心深い武田信玄は、その身を持って水晶の邪気払いの効果や汚れを祓うパワーを、武田軍の武将や兵士たちに証明したのではないでしょうか。また、信玄の一番の特徴とも言える鉄の軍配。上杉謙信との一騎打ちの際に太刀を受けたその軍配には、真中に水晶が埋め込まれていたとされています。
武田信玄のみではなく、その父・武田信虎も水晶を愛用していたとされています。水晶のパワーにより、信玄が謀反を起こすということを事前に予見し、家督を次男に継がせると言いますが、結局それがきっかけで親子が不仲になり対立してしまいます。結果、信玄は父・信虎を追放します。その後、諏訪御料人を妻とし暮らしますが、彼女は25歳でこの世を去ります。悲しみに暮れる信玄の元へ京都から水晶の研磨職人が訪れ、信玄に水晶の念珠を届けました。
「大事な夫の出家祝いのためのものだから、親玉には「信玄」と刻んで下さい」と妻から注文を受けていたので、それを届けに来たそうです。自分の死を予感していた妻は、自分がいなくなった後の夫を案じ、最後の贈り物として水晶を遺していました。その後信玄は、他にもいくつかの水晶の念珠を作り、常に身に付けていたとのこと。信玄亡き後は四郎が家督と信玄の水晶を受け継ぎ、両親の理想であった諏訪と甲斐の架け橋となりました。
山梨水晶
山梨水晶の時代はとても古く、黒平遺跡群では、およそ2万年前の旧石器時代に水晶の石器が用いられていたとされています。さらに乙木田遺跡では、縄文時代、水晶を加工した作業所などが発見されました。このように昔から水晶が盛んな土地でしたが、加工技術が発達し本格的な水晶工芸が一般に広がったのは江戸時代後期からとされています。
江戸時代以前は、水晶採掘には厳しい統制がありましたが、明治以降日本国内や海外で水晶の需要が高まったため、採掘の規制が緩み自由にできるようになりました。
山梨水晶も最盛期を迎え、技術も目覚ましい進化を遂げましたが、大正時代には水晶はほとんど取り尽くされてしまい、また、ブラジル産などの海外輸入水晶が増えたこともあり数多く会った山梨水晶の鉱山が次々閉山となり、いまや山梨水晶はとても希少な存在となっています。武田信玄も愛した山梨水晶は、海外の水晶とはまた違う日本独特な雰囲気が魅力的で、愛好家の中でも特に人気の高いものとなっています。
4月の誕生石
今ではとてもポピュラーになった誕生石。内容は多少の違いがありますが、世界各国多くの人々に浸透しています。誕生石の始まりは1952年にアメリカの宝石小売の複数の組合が制定されたと言われており、その起源は聖書から引用されたものが有力であるとされています。日本では1958年に「全国宝石卸商協同組合」により基準となるものが作成されました。今では大切な方や自分自身のお守りとして、誕生石を選ばれる方が増えとても一般的な存在となっていますね。
「始まり」と水晶
4月といえば、新しい生活がスタートする大切な時期でもあります。年代性別問わず訪れる新たな始まりは、緊張や不安、期待感など様々な感情が溢れてきますね。赤ちゃんだった小さなお子様は、お母さんやお父さんの側を少し離れ保育園や幼稚園に入園し、また小学校、中学校、高校とどんどん成長し道を進みます。そして、学生時代が終わり今度は社会に出て、オトナとしての人生が始まります。進む本人も、それを見守る周囲の人も、心配・不安といったマイナスな感情がうまれてきますよね。
そうした時、水晶を持つことにより、気持ちを浄化し新たな環境へ向けたポジティブな気持ちを授けてくれます。誰だって不安はありますし、緊張してしまいます。それでも進むために、水晶の神秘のパワーを借りて、新しいスタートを大きな気持ちで迎えましょう。水晶は「純粋」「繁栄」という石言葉を持ち、「全ての浄化」「あらゆる邪気を祓う」と言った最強のお守り石です。始まりの4月に正にぴったりの誕生石であると言えるでしょう。
日本でも水晶鉱山はあった!?
先にもお話したように、山梨県には多くの水晶鉱山が存在していました。他にも福島県や滋賀県、岩手県や和歌山県などでも水晶が発見されており、中でも滋賀県の田上山は古くから水晶の産地としても知られていました。今では本格的な水晶採掘は日本国内では行っていませんが、観光などで水晶の採掘体験などをしている地域は多く存在しています。
海外の水晶のような美しい透明度や、宝石のように優雅に輝くような高品質な水晶は極稀にしか見つかりませんが、自分自身の力で見つけることが出来た水晶は、きっと特別なお守りとして、持ち主の人生の道を、明るく照らしてくれるのではないでしょうか。
水晶の由来
「クォーツ」「クリスタル」 違いは??
水晶というと「クリスタル」だったり「クォーツ」といった呼び名があります。この2つは、同じ様な使われ方をしていますが、実は違った意味を持つ言葉です。また、「水晶」という言葉は日本のみの言葉であるため、海外では水晶とは呼びません。この2つを簡単に分けると
- クリスタル → 以前は水晶のことを指していたが、今では結晶を指す言葉
- クォーツ → 結晶が集ま形成された塊のこと 「石英」
とされています。海外では、水晶のことをロッククリスタルと呼びます。クリスタルの語源は、はるか昔に初めて水晶を発見した人物が氷が石になったと思い「クリスタロス」と呼んだのが始まりとされており、現在では「透明な岩の結晶」という意味になるんだとか。また、クリスタルという言葉は、水晶を指す時も用いられますが、単に結晶という意味合いでも使われるそうです。
細かな説明をすると違う意味合いとなりますが、現代では水晶をクリスタルと明記して販売しているお店や、クォーツとして取引しているショップもありますので、どちらを使用しても間違いということにはなりません。厳密に言えば水晶=クリスタルではありませんが、日本では、「クリスタル」という方が馴染み深く、親近感のある名称なのではないでしょうか。
「クォーツ」と呼ばれるようになった由来
日本では明治11年、塊上のものを石英であるとし、グループの総称名として「クォーツ」という名が採用されました。その石英の中で、無色透明で六角柱状の結晶を示すロッククリスタルの和訳を「水晶」としました。その後時代は流れ、透明度の高いものがロッククリスタル、透明度が落ちるものをクォーツと呼ぶようになりますが、実際に和訳のところで数々の矛盾が生じてしまうようです。
その矛盾を解決などはあまりせず、長い年月うやむやになってしまったため、今でもちょっと悩んでしまう時がありますが、クォーツという名はある種万能の名称という位置づけにいますので、水晶のことをクリスタルと呼ぶのもクォーツと呼ぶのもどちらも間違いではありません。
しかし、クリスタルという名は石に限らずガラスなどでも用いられることが多くあるため、ロッククリスタルを偽物であると勘違いされている方も多くいらっしゃるようです。しかし様々な呼び名の中で、海外などではロッククリスタルが一番正式名称に近いものかもしれません。いずれにしても、水晶は様々な呼び名がありますので、気になる方はお店の店員さんに「これは水晶?」と聞いてみて下さい。
「クォーツ」という名が付けられているものは水晶でほぼ間違いないですが、クリスタルは曖昧なものなので全てが水晶であるとは言えません。
深い歴史のある神秘の石・水晶 ~まとめ~
様々な伝説や逸話のある水晶は、はるか昔の時代から現代に至るまで、多くの人々を癒やし、守ってきました。歴史上の人物であっても、そのパワーを信仰する気持ちは変わらないようです。「パワーストーンは水晶で始まり水晶に終わる」といった言葉もあるくらい、本当に長い年月をかけ、様々な国で愛され続けてきました。
色々な呪術や宗教的な行事などにも用いられることも多く、スピリチュアルな世界にはなくてはならない存在として今もなお愛されています。また、その見目美しさもあり、宝石としてダイヤモンドと並ぶ輝きを放つ水晶は、高級ジュエリーなどでも多く取り入れられ、ブランドでも数多くのアイテムが作られています。想像を遥かに超えた深い歴史の中で輝き続ける水晶。強力な神秘的なパワーは、そんな歴史の積み重ねの中からうまれてきたのかもしれません。